アルマーニの制服が金額の問題だけでは済まない理由

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アルマーニの制服が金額の問題だけでは済まない理由

2018/02/13 アルマーニの制服が金額の問題だけでは済まない理由

オリンピックの話題を押しのけて、「アルマーニ」の制服を

採用しようという話題がお茶の間を賑わせています。

 

話題となった中央区の泰明小学校は明治11年創立で島崎藤村も学んだ学校だそうです。

アルマーニと言えばイタリアの洋服ブランドとして多くの人が知っていると

回答することが十分に予想される老舗の名ブランドです。

 

記者のインタビューで「校長先生はアルマーニの服をお持ちですか」という質問に対し

「持っていない、ハンカチなどの小物くらいならあるかも」という回答を見て、

 

・鋭い質問! とも感じましたし、

・関係なくない?!  とも感じました。

 

ただ、「銀座にある学校らしく」という、こじつけのような理由には

あまり賛同できませんが、校長がアルマーニの服を持っているとか、

持っていないとか、事の本質とは関係ないと思います。

 

ランドセル

 


 

今回の話題から考えられること、

それは、「アルマーニ」というブランドでもなく、制服の「金額」でもなく、

『制服』に、些かの問題をはらんでいると感じます。

 

その問題を次の5つに分けて考えてみたいと思います。

Q. なぜ制服なのか

Q. 規定用品と子どもの多様性

Q. 「いじめ」

Q. 子どもの表現と校則(規則)との関係

 

Q. なぜ制服なのか

大きく分けて2つの理由が考えられ、まず1つ目は学校側の事情です。

児童・生徒が制服を着ていることでどこの学校の生徒かすぐに見分けられるということ。

「寄り道していたよ」という近隣からの通報や、「電車内でのマナーが悪い」といった

居合わせた方から通報していただくことで、学校内での生徒指導に役立てるということです。

この目的は後付けの理由としか思えませんが・・電車内のマナーや寄り道の問題など、

学校で教えることでしょうか?!

 

2つ目は学校側と家庭側の両方に関係します。それは、その制服と学校に対する愛着です。

つまり愛校心を育むために利用されており、それは現代に始まったことではなく、

既に戦時中の国民服や軍服からも見られる「統制」と「愛国心」の流れがソフトになった

に過ぎません。今や、学校では可愛い制服や特徴的のある制服を採用することで、

特に私立では生徒募集のツールとして欠かせないものとなっていますが、

公立でも統廃合の影が迫る危機感を感じているのでしょう。

 

「平成22年国勢調査による東京都の昼間人口(東京都の統計HP)」では

次のようなデータがあります。昼間人口と夜間人口との比率を表しているのですが、

夜間人口を100とした時の昼間人口を比率で表しています。(23区のみ)

1位 千代田区(昼間人口819,247/夜間人口47,115/比率1,738.8

2位 中央区(同605,926/同122,762/同493.6

3位 港区(同886,173/同205,131/同432.0

23位 練馬区(同588,243/同716,124/同82.1

 

このように、中央区は昼間人口が少ないことが良くわかり、子どもが減ってきていることも

十分に想像がつきます。この小学校では特例として中央区全域から児童が通学することを

認めているそうですが、居住児童が近隣にいないことに始まり、区内全域からも児童が

集まらないとなると統廃合の影がチラつき始めるのです。

制服が可愛かったり特徴的にするのは私立学校ではよく使われる広報戦略の1つです。

 

【ここで問題】

学校で制服を指定する理由に挙げられるのは、「学業に相応しい服装」ということで

新入生保護者会でよく説明を受けますが、今回の「銀座の小学校らしさ」や

「学業に相応しい」という観点からアルマーニがそれら理由に適合するのでしょうか。

 

【私ならこう考える】

◆肯定意見

イタリアブランドの制服を採用するのと同時に、本場イタリアについての学習や

文化交流などを含めるのであればOKだと思います。子どもたちの世界観を広げる

ことも含めて選定することも取り込むのであれば、まだ納得できます。

◆否定意見

・銀座の小学校らしさを謳うにしても、アルマーニに直結する理由は見当たりません。

むしろ、制服でオリジナリティを出すのであれば、中央区の姉妹都市である

豪州サザランド市に着目してみるべきだったかと思います。サザランド市発の

洋服ブランドは探しても見当たらなかったのですが、豪州の洋服ブランドとして

日本未上陸で、物価の高い豪州でも価格帯が低く抑えられ、いわば日本のユニクロ的存在

だと話題になっている「Cotton On」という洋服ブランドに制服のデザインをして

もらえばよかったのではないかと思います。

・そもそも、小学生らしい制服にアルマーニは釣り合っていると思えませんし、

銀座が即ちアルマーニとしてイメージが合致するものでもありません。

 

Q. 規定用品と子どもの多様性

制服に始まり、公立の学校でも様々な規定用品があります。お箸箱、お道具箱、体操着、

上履き、通学靴、体育館用シューズ、私立に至っては、ランドセル、サブバック、ノート、

などあらゆる物が規定用品として学校側で指定されています。皆が同じものを持ち、

皆が同じように使う。シンプルに公平です。

 

【ここで問題】

なぜ規定用品が多くなるのでしょうか。

子どもたちの好きなものを持たせてはいけないのでしょうか。

 

【私ならこう考える】

1.いじめ物問題

学校の説明でよく話されるのが、「同じものを持つことで、いじめが起こりにくくなる」

という理由。全く理解できません。いじめが起こるのはそもそも多様性を受け入れる

環境が整っていないために起こるのであり、多様性を受け入れる指導が行き届けば

いじめの心配は無くなるどころか、それ以上に個性を開放する貴重な機会です。

子どもたちの個性を伸ばす、尊重する環境の無いところで「いじめとは」といった

教育を行うには無理があると考えます。

多感な世代の子どもたちに対して創造やイメージだけで話をしてもなかなか伝わりませんし、

小中学生のうちは抽象的ではなく具体的に、理論よりも実践、が後々の人間性を育むために

良い蓄積となるはずです。

2.オリジナリティと慣れ合いは表裏一体

学校の外から見えない諸事情は種々ありますが、規定用品も例外ではありません。

あまり具体的に書くのは今の段階では差し控えさせていただきますが、

私立の場合は規定用品の発注先に選定される業者さんには、縁故関係や在校生、

卒業生の家業が関係したりすることがあります。

卒業生の関係する取引となると、なかなか発注先を変更もできなくなり、

価格は言いなりになることもあります。学校オリジナルの規定用品を準備することで

様々な角度から愛校心を導く裏には、旧態依然とした業者選定の在り方にも問題があります。

そのような問題を抱える危険性がある規定用品ですし、そもそも個性を育む環境を阻害する

規定用品はを、学校の都合(大人の都合)で指定することには反対です。

3.価格設定

・公立学校の規定用品は、一般に流通しているものではないため指定店でしか購入ができない

ことからなかなか価格が下がりません。自治体で管轄内の小中学校の規定用品を指定して

必要数を発注するなど、学校単位での選定していることはあまり多くないようですが、

それでも規定用品が市販品に比べて単価が高いことは家庭に負担がかかります。

規定用品の販売で公立学校は利益を得るわけではないのですが、メーカーの独占市場

であるが故に単価はやはり高くなります。これらに対して修学補助が税金で賄われて

いるのですから、もっと有効な使い方をしてもらいたいと思います。

・一方で私立の場合は、事情が少し異なります。学校が独自に規定用品を指定するので、

他の学校では買えないものが買える!というメリットとだから高い!というデメリット

が共存します。私立の場合は、ここに利益を上乗せしていることが多く見受けられます。

もちろん、利益の上乗せは学校のブランド料だと言われても反論のしようがありませんが、

規定用品が多くなればなるほど家庭の負担は重くのしかかります。高等学校の場合は

就学支援金が国公私立を問わず支給されますが、いくらもらっても足りないのが現実です。

自由な発想を引き出しながら勉強を進めたいと考える学校であれば、規定用品は無くても

良いと思います。様々な枠の中でいくら自由に発想しなさいと言われても、限界があります。

 

Q. 「いじめ」

「いじめはいけません」の理由を皆で考える時間は、どこの学校でも道徳の時間に充てて

いることと思います。今後は「道徳」という教科ができることからみても、ややもすれば

哲学的になりそうな道徳を指導し評価する先生のご苦労をお察しします。

が、「いじめがいけない」という理由よりも「いじめが起こるきっかけ」に焦点を

充てて、子どもたち自身で考える時間をしっかり確保することが最優先だと考えます。

 

【ここで問題】

いじめが起こるきっかけで最も些細なことはどのようなことでしょうか?!

 

【私ならこう考える】

子どもたちのいじめの多くは「自分たちとは違う」ということから始まりますが、

この「違う」の基準がそもそも「違う」ものではない、ということへの理解を促すことが

大切だと考えるからです。「違う」という感覚が「違っていた」ことを子どもたちに

認識させる環境は、やはり子どもたちの自由な発想や個性を表すことの多い所持品を例にして、

各人が感じ方や考え方が異なっていて当り前である環境を、幼少期から経験しておく方が

良いと考えます。そういった意味では、いじめは良くないと子どもたちもわかってはいるものの、

「自分とは違う」ということに対して免疫が低ければ低いほど、いじめは良くないという理屈

と反する感情が沸き起こる危険性もあると思います。いじめ問題をしっかり理解するためには、

規定用品は必要ないですし、むしろ邪魔するだけだと考えます。

 

Q. 子どもの表現と校則(規則)との関係

いわゆる「ダメなことリスト」である校則は、子どもたちの自由な行動を制限してしまいます。

特に高校に入ると生徒手帳には校則がビッシリと書き込まれています。

違反すると停学や退学といった措置が取られてしまいます。

18歳成人がもし本格的に進むようであれば、高校生は「大人の階段を昇る」準備段階となります。

 

【ここで問題】

学校生活で校則を守ることに一生懸命になりましたか?!

 

【私ならこう考える】

校則を意識しながら学校生活を送ることはまずありませんし、仮に意識させられるような

ことがあればとてもツマラナイ学校生活だと思います。もちろん、倫理的なことは年代や

状況をみながら指導する、教育する必要があると思いますが、全てを学校ですべきことではない、

ということを原点に考えてみます。「ダメなこと」として予防線を張ることは、

子どもたちにとって「何がダメなのか」「どうしてダメなのか」を考える機会を失うことになります。

 

例えば、最近の公園では「木登り禁止」や「ボール遊び禁止」という掲示が貼られているのを

よく見かけますが、もちろん、木登りで落ちて怪我するのを回避するためでもありますが、

なぜ危ないのか、どのようにしたら落ちるのか、ボール遊びもなぜ危険なのか、を考える機会を

完全に失っています。校則も同様だと考えます。子どもたちに必要なのは、『予防線』ではなく、

自分たちで『予防線』を考えられること。

 

学校の規定用品で、さすがにそれを学校で使うには・・ということもあるかもしれませんが、

小学生であればそれを親子で考える機会を持ったり、新入生説明会に親子で参加してもらい、

その時に最低限の基準を説明するなど、やり方はいくらでもあるはずです。

 


 

今回のアルマーニの制服についても、制服とはいえ、普段は着用しない標準服だという

説明もあるようですが、普段から着ない標準服に8万円も捻出できませんし、

普段は服装が自由なのであれば、その延長線上で式典の時の服装は基準を設けるだけで

十分ではないかと考えます。

 

 

子どもたちの自由な発想や個性を本当に伸ばしたいのであれば、

規制の枠は極限まで削減すべきではないでしょうか。

アルマーニ制服は様々なことを示唆してくれるものでした。

 

 

皆さんはいかがお考えでしょうか。

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